不登校→医師と弁護士になった夫婦の昔語り

私達が立ち直る為に必要だった、両親から贈られた本の紹介

不登校→弁護士に必要だった本 「こども六法」山崎聡一郎

こども六法

こども六法

小学生、中学生、高校生、大人の方、どの方にもおすすめしたい本です!

 

アマゾンのベストセラーにもなっていますが、もし、人間関係で悩みがあるなら、それがきっかけになって不登校になってしまったなら。

 

ちょっと1ページでもいいので、この本を読ませてあげて下さい。

 

漢字のルビもあるので、小学校低学年のお子さんでも、ちょろっと意味の説明さえして頂ければ充分分かりやすい内容です。

 

学校は、先生は、もしかしたら大人はみんな、自分を守ってくれない!

 

そんな風に一度でも、感じたことがあるなら。

 

子どもの頃、法律が少しでも分かっていたら…そう思うことが多々あります。

 

確かに、大人の人は人によって言うことが違う時があります。

 

不登校もそう、いじめもそう、引きこもることも、みんなみんな一人一人意見があって、十人十色。

 

でも、法律は一つです。

 

これは間違いですよ、悪いことですよってことは、あなたの周りで平然としている人がいたとして。

 

そんな人と関わることが怖いからと逃げることは悪くないです。

 

法律は逃げ方と戦い方を教えてくれるものです。

 

多くのお子さんが、少しでも生きやすくなるためのこの本、お手にとって頂けると嬉しいです。

僕の昔語り その二

母との喧嘩の度に、何かを伝えるように僕の場合は本を贈られました。

 

2000冊以上に積み上がったその本を、あの頃の母はどんな気持ちで僕に贈り続けてくれたのか。

 

不登校と聞くと皆さんはどんなお子さんを想像されるでしょうか。

 

恐らくですが、大人しそう、物静かそうといったイメージが強いかもしれません。

 

両親も、僕のことを優等生できっちりとした、それでいて友人関係もある明るい、穏やかな子だと思っていたように感じます。

 

ところが、不登校が始まり出すとまず僕は生活習慣が乱れました。

 

当時はまだ、スクールカウンセラー心療内科へ通院するというのはもう最後の砦のような扱いだったそうです。

 

特に都会でもない僕の育った町は、あっという間に噂も広まる地域で、まず僕が不登校だと聞き付けた近所の人たちが心配して連れてきてくれたのは、神主さんでした。

 

次にどこかの祈祷を捧げる人がやってきて、次は何かの信徒さん、そして次に…終わらない訪問者の人に母は泣きながら救いを求めていました。

 

先に子どもが死ぬことよりも親不孝なことはないと言いますが、あの時間はなんとも言い表せない親不孝で、未だに思い出すと胸が締め付けられます。

 

今のようにインターネットも各家庭でアクセスできる状態でもなかったので、僕の不登校の始まりは、深夜でも訪れてくる願いを叶えてくれるらしい大人の人に起こされ、聖なる水とか、水晶に深夜2時の月明かりを浴びせて願い事をするとか、そういったものが多かったです。

 

一ヶ月もしない間に、僕は昼夜逆転の生活になってしまい、イライラやもやもやが、ささいなことで爆発するようになりました。

 

食事の準備の音に、頭をかきむしるほどの苛立ちを覚え、何度壁や家具を破壊したかは数えきれません。

 

大人しいと思っていた僕が、両親からすると突然猛獣のように暴れるものですから、家族の驚きや恐怖心は空気から伝わりました。

 

そんなイライラやモヤモヤから、すっと頭を切り替えさせてくれたのがいつも本でした。

 

 

 

不登校→弁護士に必要だった本 「愛と死」武者小路実篤

武者小路実篤、タイトルの通り、男女の愛と、そこに悲しい死別が盛り込まれたお話です。

 

そういったお話は、今の若い世代の人はマンガやライトノベルと言われるもの、もしくは乙女ゲームと呼ばれるゲームで読んだことがあるかもしれません。

 

もちろん、そういったお話も絵があるので分かりやすいです。

 

ですが、せっかく不登校で家にいて、寝て読めるものの中に小説もあります!

 

古い、と言わず試しに読んでもらえたら嬉しいです。

 

源氏物語のように、時を超えた恋愛物語は、本来学生生活の中でしているであろう恋バナと呼ばれるものに劣りません!

 

これをきっかけに純文学に興味を持って、もしくは哲学に興味をもって、研究者になる未来もあるかもしれません。

 

本は出会いです、おすすめです。(特に少女マンガのような恋愛ストーリー好きの方におすすめです)

私の昔語り その一

初めまして、現在三児の母であり、妻であり、弁護士をしています。

 

夫から、不登校時代に両親からもらった本を紹介するブログを一緒に立ち上げて欲しいと言われた時は…

 

ぎょっえぇぇぇぇぇぇ~?!

 

という感情が込み上げてきました。

 

自分達の結婚式、本番の式直前と子どもが生まれた時に、過去の話はうぉんうぉん、狼のごとく両親と姉にそれまでの謝罪と感謝をしたのですが。(結婚式の写真はもののみごとに女性人の化粧は崩れています)

 

過去の話、特に不登校時代の話をすることは、私にとってはとても恥ずかしいです。

 

不登校が恥ずかしいわけではなく、当時の自分の行動を振り替えると、しどろもどろになることは必須です!

 

どうしようもない甘えた、自己中心的な子どもでした。(今もそういった大人になりきれていない部分があります)

 

ただ、これで今不登校で苦しんでいる(楽観的なようにお子さんが見えても心は不安でいっぱいです)お子さんや、ご家族の方がすこーーーーしでも楽になってもらえるなら、希望をもってもらえるなら。

 

ええいっ、と私のお話をさせていただきましょう!(強烈なお叱り、ご批判、ごもっともです!でもそのまま書かせて頂きます、カッコつけませんのでご不快な気持ちにさせてしまったら申し訳ありません!もう先にこの場でお詫び申し上げます!)

 

コホン、夫のご両親同様、私の両親も長い、長い不登校時代にたくさんの本をくれました。

 

が。

 

小学校3年生の夏休みの前から不登校になった私は、ほぼ一日中ゲームをしていました。(スーパーファミコン世代です、全盛期ですよ)

 

…はい、さぼりです、ズル休みです、すみません。

 

私には姉がいるのですが、姉も当時不登校でした。

 

姉は、いい加減な私とは違いもう見たまんまの優等生でした。

 

友人も多く、家でも明るくて、妹である私の面倒も見てくれて、小学校では生徒会にも所属していて、頭もよくて、スタイルも良いし、美人で学年の違う男の子からもラブレターを毎年数え切れないほどもらう姉!(私も姉宛のお手紙をよくもらいました、はっはっは)

 

そんな中学1年生だった姉が不登校とあって、両親は姉にいい意味でも悪い意味でもかまいっぱなしでした。(当たり前です、当たり前なんですが)

 

それを、私は気に食わず。(ごめんねお母さん)

 

…あ、自分も今同じことしたらいいんじゃない?(わくわく)

 

と思い立ったと同時、私まで不登校になってしまいました。

 

なんかお腹がいたい、頭がいたい、背中がいたい、立てない、クラクラする、気持ち悪い、耳がいたい、心臓らへんがいたい。

 

ところが、不思議なことに呪文のごとく呟くその言葉通りに、本当に体が徐々に動かなくなっていったのは二ヶ月くらい後でした。

 

当時の私の思いはこんな感じでした。

 

(なんか言ってることが本当になってきた~!どうしよう、呪いだぁぁぁぁぁ)

 

最初は、姉ばかりの両親、特に母に優しくしてもらって羨ましいといった感情から学校を休み始めたのですが、姉と長い時間一緒にいれる、生まれて初めての時間が私にやってくると、その感情は変化していきました。

 

(お姉ちゃんは、ずっと色々我慢してきて今よくわからないけどしんどいんだ!よーし、お姉ちゃんと一緒にいるぞ!)

 

今度は、姉だけを置いて自分だけ学校に行く、もっと言えば真っ当な普通の人生を歩むのが怖くなりました。私が一週間のうち3、4日通学したのは、姉が大学受験のために予備校に通いだした時だけでした。

 

姉は、いつも私のお手本でした。

 

自転車の乗り方も、宿題のやり方も、友達の作り方も、姉の真似さえしていれば、何でもうまくいきました。

 

嘘をついて、両親に叱られた日にかばってくれた姉、幼稚園の運動会のリレーでずっこけて血だらけになった私を保護者席から飛んで助けにきてくれた姉、おばけが怖いと姉の布団にもぐりこみ、朝、姉の布団をいつの間にかぶんどって風邪を引かせてしまったのに笑っていた姉。

 

姉とべったり一緒に家にいること、一緒にゲームや漫画の世界に入ろうとする私たち姉妹を止めるため、なんとかするために、母は本をくれました。

 

平日に一人1冊づつ、全部で私がもらったのは千五百冊以上あります。

 

「学校に行かないんだったら、毎日1冊以上本を読みなさい」

 

仁王立ちしている母から手渡されたのは、段ボールに送り状が張り付けてある包みでした。

 

それはサンタクロースからの贈り物のようで、小さかった私は喜んで包装をビリビリ破って遊んでいました。

 

中にある本は、どれもこれも綺麗な挿し絵があったり、画集であったり、時には漫画もあれば、簡単な問題集であったり、物語や伝記もあれば絵本も料理本や、主婦の友にいたるまで、色々な本を手に取りました。

 

小学校の3年生から中学3年生まで、公立の学校に在籍していましたが、その7年間はついにほぼ学校へ行くこともなく。

 

内申点がなかった私をなんとか、母は入学できる私立の高校へいれてくれたものの、1学期で中退。

 

姉と同じ大学検定を受け、姉と同じ大学の学部を受験したものの、1度目の受験は失敗しました。

 

2度目の受験でサクラサク

 

国立のその大学は、自由な校風と言われるだけあって、私にはとても心地いい場所でした。

 

一人で食堂でご飯を食べていようとも、それを変だと思う人も空気もなく、一番大きな図書館の長椅子で寝ている人がいようとも、それはそこでは見慣れた風景。何よりも姉が同じ敷地内の校舎にいることもしばしば。

 

ぼろっぼろの潰れそうな寮の廊下にはガスコンロが置いてあって、せっま~い部屋はせいぜい3畳程度、1階に住んでいた姉の友人の部屋にお邪魔すると、野良猫がやってくる、まるで一つの物語に出てくる面白い登場人物のような人々が行き交う大学は、それまで見たことがない、本の世界のような場所でした。

 

法学部に通うの4年間、姉のおかげもあって成績もよく、そのままロースクール入学へ向けて、猛烈に、勉強ばっかりに燃えていた頃、夫と出会いました。

 

出会いは図書室、不思議なその人は豪快につんのめって、私の目の前の本棚に衝突しました。(出会いは流血です!)初めての会話で、夫の声に恋をしました、顔でもなく姿形でもなく声です、理由はのちのちお話したいと思います。

 

不登校という、たくさんの時間の中で、もしあの時にゲームばかりしていて、本に出会ってなかったら?

 

遅咲きで28歳で色々ありながらも司法修習(1回目は集団生活に拒絶反応が出て1日で逃げてしまいました)を終えることができました。

 

そして、結婚もして、三人の子どもと夫に囲まれ、日々、穏やかに生活しています。そんな私もなんとアラフォーです。

 

「あの時は地獄やったけど、幸せになってくれたならお母さんは嬉しい」

 

そう、むせび泣いていた母はもう7人のおばあちゃんです。

 

おばあちゃんは、あの頃のように私たち家族に本を贈ってくれます。

 

そんなおばあちゃんが昔々選んでくれた本や、今も送ってくれる本、私個人が不登校の中で今、不安に思っているお子さんに読んでもらえたら嬉しい本をブログにて紹介します。

 

そして、不登校の皆、そして保護者の皆様へ。

 

だいじょうぶ、だいじょうぶ

 

なりたいもの、送りたい生活、一緒にゆっくりゆっくり考えよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不登校→弁護士に必要だった本 「だから、あなたも生き抜いて」大平光代

弁護士を目指した、最初のきっかけになった本です。

 

中学生くらいの女の子独特のグループ行動、集団心理に突き刺さるものと、そこから這い上がっていく長い長い道を泣きながら読みました。

 

今とはやや異なり、不登校=不良少年、少女という認識がまだまだ強かった時代のお話ですが、根底は変わっていません。

 

当たり前だと思っていた場所から、ふと自分が取り残されてしまったように感じた時、この本を呼んでいると、このままここで終わらせてなるものか!

 

と、お腹から力が湧いてきます。きっと不登校になって、そして女性には共感できるところがたくさんある本だと思います。

 

 

だから、あなたも生きぬいて

だから、あなたも生きぬいて

  • 作者:大平 光代
  • 発売日: 2000/02/21
  • メディア: 単行本
 

 

不登校→医師に必要だった本 「はてしない物語」 ミヒャエル・エンデ

ファンタジー
幼い頃、好きだった映画「ネバーエンディングストーリー」の原作。

僕の昔語り 一

はじめまして、早速ですが僕の学歴、経歴と共に不登校歴をお話しします。ありのままをお話しさせて頂きますので、ご不快に思われたら申し訳ございません。

 

小学校は公立の小学校に通っていました。

 

小学校3年生から、欠席が増え始め、4年生の頃には不登校が始まりました。

 

学業に不安を感じた母が、知り合いに会いたくないと言う僕を、隣の市まで塾や習い事の送迎をしてくれたのも小学校4年生からです。

 

結局、小学校の卒業式も出ることはなく卒業し、僕は私立の男子校に進学しました。

 

そこはいわゆる進学校と呼ばれる学校で、僕は電車で通学することになりました。

 

中学1年生の一学期には友達もできました、クラブ活動も楽しく感じ、充実していたのですが、二学期が始まる頃には、電車に乗れなくなってしまいました。

 

始発の各駅電車で、乗ったり降りたりを繰り返しながら通学していましたが、10月頃には保健室登校をするようになりました。

 

そして中学2年生の頃には、中間、期末、模擬試験などのみ保健室で受ける形となり、そのまま中学3年生まで進みました。

 

私立だったこともあり、そのまま内部進学という形で高校へ進学できました。

 

高校教育は義務教育ではなく、ここでまた不登校になってしまえば自分の人生は終わるものだと感じていましたが、1年間で3分の1も行けず、高校2年生の春には別の私立の高校へ転学しました。

 

それでも学校に通うことができず、高校卒業の単位がもう間に合わないと絶望した時、通信制の高校を転学先の先生に教えてもらい、転学しました。

 

通信制の高校は、大学のようなシステムで、必要な単位の授業を受けに行くのですが、僕はその日数を極力減らすため、大学検定も併用しました。

 

そして、2年間の間に受験勉強のプランを塾の先生と両親と立て直し、現役で医学部合格、現在では医学部で博士号も取得し、眼科医として勤務、三児の父になりました。

 

医学部に進学しても、順風満帆とはいかず、大学3回生で不登校、研修医も1年お休みを頂きました。

 

今まで、何をそんなに恐れていたのか、何を見ていたのか、まるで憑き物が取れたかのように視界が綺麗に広がったのは結婚した時、そして恐れていたもの、見てきたものの原因が分かったのは、子どもを授かった時でした。

 

ただ、今の僕にいたるまで、僕が両親から受けてきたたくさんの感謝の中に本との出会いがありました。

 

小学校4年生からの不登校、僕の不登校歴はほぼ6年、成人してからの不登校や出勤拒否を入れれば8年。

 

その中の最初の6年間の間、僕は2000冊以上の本を母親から贈ってもらいました。

 

絵本、児童書、図鑑、辞典、事典、画集、写真集、専門書、小説、問題集や資料集や時には漫画に至るまで。

 

それは6年間で主に母とぶつかりあった時、喧嘩をした後、母が遠方の本屋さんから送ってもらったものでした。

 

一度に1冊の時もあれば、僕が中学生の頃、家の壁に穴を開けた時なんかは、まとめて10冊もらったこともあります。

 

そのおかげで、僕はたくさんの時間を読書にあてることができました。

 

学校教育の中だけでは見れない人の名前をたくさん見ることができました。

 

たくさんの人が、本に込めた思いを知り、様々な職業があり、生き方があると母は、本を通して僕に時間をかけて教えてくれているようでした。

 

そして、それらが僕の知識の基盤になり、現役で医学部に合格することができたんだと思います。(もちろん、そこから人生うまくいったわけではなく、何度もつまづきました)

 

大学生になった頃には、日常的に本を読むことが習慣化していました。

 

両親が贈ってくれた本以外の本、もちろん漫画も含めてたくさんの本を読んでいた僕は、学生時代から論文をたくさん読みました、それは今も変わらない習慣です。

 

そして、22歳の頃、僕がちょうど2回目の3回生をやり直している時に、今の妻と大学の図書館で出会いました。

 

その出会いから、交際を経て結婚し、現在家族五人で仲良く暮らしています。

 

あの時、もし本との出会いがなかったら。

 

今の僕の人生は、ここにないでしょう。

 

そして、もし不登校のお子さんとの接し方や将来について悩んでいらっしゃる保護者の皆様、そしてもしご本人がこのブログを読んで下さったら、どうぞ両親から贈られた本や、今でも本の虫になった僕のおすすめする本を手にとって見てください。

 

不登校になり、将来が不安なご本人様、そして保護者の皆様のお役に少しでも立てることができれば、こんなに嬉しいことはありません。