不登校→医師と弁護士になった夫婦の昔語り

私達が立ち直る為に必要だった、両親から贈られた本の紹介

私の昔語り その一

初めまして、現在三児の母であり、妻であり、弁護士をしています。

 

夫から、不登校時代に両親からもらった本を紹介するブログを一緒に立ち上げて欲しいと言われた時は…

 

ぎょっえぇぇぇぇぇぇ~?!

 

という感情が込み上げてきました。

 

自分達の結婚式、本番の式直前と子どもが生まれた時に、過去の話はうぉんうぉん、狼のごとく両親と姉にそれまでの謝罪と感謝をしたのですが。(結婚式の写真はもののみごとに女性人の化粧は崩れています)

 

過去の話、特に不登校時代の話をすることは、私にとってはとても恥ずかしいです。

 

不登校が恥ずかしいわけではなく、当時の自分の行動を振り替えると、しどろもどろになることは必須です!

 

どうしようもない甘えた、自己中心的な子どもでした。(今もそういった大人になりきれていない部分があります)

 

ただ、これで今不登校で苦しんでいる(楽観的なようにお子さんが見えても心は不安でいっぱいです)お子さんや、ご家族の方がすこーーーーしでも楽になってもらえるなら、希望をもってもらえるなら。

 

ええいっ、と私のお話をさせていただきましょう!(強烈なお叱り、ご批判、ごもっともです!でもそのまま書かせて頂きます、カッコつけませんのでご不快な気持ちにさせてしまったら申し訳ありません!もう先にこの場でお詫び申し上げます!)

 

コホン、夫のご両親同様、私の両親も長い、長い不登校時代にたくさんの本をくれました。

 

が。

 

小学校3年生の夏休みの前から不登校になった私は、ほぼ一日中ゲームをしていました。(スーパーファミコン世代です、全盛期ですよ)

 

…はい、さぼりです、ズル休みです、すみません。

 

私には姉がいるのですが、姉も当時不登校でした。

 

姉は、いい加減な私とは違いもう見たまんまの優等生でした。

 

友人も多く、家でも明るくて、妹である私の面倒も見てくれて、小学校では生徒会にも所属していて、頭もよくて、スタイルも良いし、美人で学年の違う男の子からもラブレターを毎年数え切れないほどもらう姉!(私も姉宛のお手紙をよくもらいました、はっはっは)

 

そんな中学1年生だった姉が不登校とあって、両親は姉にいい意味でも悪い意味でもかまいっぱなしでした。(当たり前です、当たり前なんですが)

 

それを、私は気に食わず。(ごめんねお母さん)

 

…あ、自分も今同じことしたらいいんじゃない?(わくわく)

 

と思い立ったと同時、私まで不登校になってしまいました。

 

なんかお腹がいたい、頭がいたい、背中がいたい、立てない、クラクラする、気持ち悪い、耳がいたい、心臓らへんがいたい。

 

ところが、不思議なことに呪文のごとく呟くその言葉通りに、本当に体が徐々に動かなくなっていったのは二ヶ月くらい後でした。

 

当時の私の思いはこんな感じでした。

 

(なんか言ってることが本当になってきた~!どうしよう、呪いだぁぁぁぁぁ)

 

最初は、姉ばかりの両親、特に母に優しくしてもらって羨ましいといった感情から学校を休み始めたのですが、姉と長い時間一緒にいれる、生まれて初めての時間が私にやってくると、その感情は変化していきました。

 

(お姉ちゃんは、ずっと色々我慢してきて今よくわからないけどしんどいんだ!よーし、お姉ちゃんと一緒にいるぞ!)

 

今度は、姉だけを置いて自分だけ学校に行く、もっと言えば真っ当な普通の人生を歩むのが怖くなりました。私が一週間のうち3、4日通学したのは、姉が大学受験のために予備校に通いだした時だけでした。

 

姉は、いつも私のお手本でした。

 

自転車の乗り方も、宿題のやり方も、友達の作り方も、姉の真似さえしていれば、何でもうまくいきました。

 

嘘をついて、両親に叱られた日にかばってくれた姉、幼稚園の運動会のリレーでずっこけて血だらけになった私を保護者席から飛んで助けにきてくれた姉、おばけが怖いと姉の布団にもぐりこみ、朝、姉の布団をいつの間にかぶんどって風邪を引かせてしまったのに笑っていた姉。

 

姉とべったり一緒に家にいること、一緒にゲームや漫画の世界に入ろうとする私たち姉妹を止めるため、なんとかするために、母は本をくれました。

 

平日に一人1冊づつ、全部で私がもらったのは千五百冊以上あります。

 

「学校に行かないんだったら、毎日1冊以上本を読みなさい」

 

仁王立ちしている母から手渡されたのは、段ボールに送り状が張り付けてある包みでした。

 

それはサンタクロースからの贈り物のようで、小さかった私は喜んで包装をビリビリ破って遊んでいました。

 

中にある本は、どれもこれも綺麗な挿し絵があったり、画集であったり、時には漫画もあれば、簡単な問題集であったり、物語や伝記もあれば絵本も料理本や、主婦の友にいたるまで、色々な本を手に取りました。

 

小学校の3年生から中学3年生まで、公立の学校に在籍していましたが、その7年間はついにほぼ学校へ行くこともなく。

 

内申点がなかった私をなんとか、母は入学できる私立の高校へいれてくれたものの、1学期で中退。

 

姉と同じ大学検定を受け、姉と同じ大学の学部を受験したものの、1度目の受験は失敗しました。

 

2度目の受験でサクラサク

 

国立のその大学は、自由な校風と言われるだけあって、私にはとても心地いい場所でした。

 

一人で食堂でご飯を食べていようとも、それを変だと思う人も空気もなく、一番大きな図書館の長椅子で寝ている人がいようとも、それはそこでは見慣れた風景。何よりも姉が同じ敷地内の校舎にいることもしばしば。

 

ぼろっぼろの潰れそうな寮の廊下にはガスコンロが置いてあって、せっま~い部屋はせいぜい3畳程度、1階に住んでいた姉の友人の部屋にお邪魔すると、野良猫がやってくる、まるで一つの物語に出てくる面白い登場人物のような人々が行き交う大学は、それまで見たことがない、本の世界のような場所でした。

 

法学部に通うの4年間、姉のおかげもあって成績もよく、そのままロースクール入学へ向けて、猛烈に、勉強ばっかりに燃えていた頃、夫と出会いました。

 

出会いは図書室、不思議なその人は豪快につんのめって、私の目の前の本棚に衝突しました。(出会いは流血です!)初めての会話で、夫の声に恋をしました、顔でもなく姿形でもなく声です、理由はのちのちお話したいと思います。

 

不登校という、たくさんの時間の中で、もしあの時にゲームばかりしていて、本に出会ってなかったら?

 

遅咲きで28歳で色々ありながらも司法修習(1回目は集団生活に拒絶反応が出て1日で逃げてしまいました)を終えることができました。

 

そして、結婚もして、三人の子どもと夫に囲まれ、日々、穏やかに生活しています。そんな私もなんとアラフォーです。

 

「あの時は地獄やったけど、幸せになってくれたならお母さんは嬉しい」

 

そう、むせび泣いていた母はもう7人のおばあちゃんです。

 

おばあちゃんは、あの頃のように私たち家族に本を贈ってくれます。

 

そんなおばあちゃんが昔々選んでくれた本や、今も送ってくれる本、私個人が不登校の中で今、不安に思っているお子さんに読んでもらえたら嬉しい本をブログにて紹介します。

 

そして、不登校の皆、そして保護者の皆様へ。

 

だいじょうぶ、だいじょうぶ

 

なりたいもの、送りたい生活、一緒にゆっくりゆっくり考えよう。