不登校→医師と弁護士になった夫婦の昔語り

私達が立ち直る為に必要だった、両親から贈られた本の紹介

私の昔語り その二

姉の悲鳴とにぶい音が玄関から家中に響いたのは、私が小学校3年生の夏休みの前でした。

 

数学の補習のお知らせが姉の通学鞄から出てきたことに怒り狂った父が、姉に馬乗りになって髪の毛をつかみ、玄関にあった姿見に姉の顔が壊れるんじゃないかと思うほど、激しい音ともに打ち込まれていました。

 

学校なんて行かない、両親に死ねと叫び続ける姉の悲鳴は玄関から道路へ。

 

警察の方がくる騒動となった日でした。

 

って…。

 

いやぁぁぁぁぁーーーーーーー文章にすると重いー!重いですね?!どうしましょう、普通に明るく書く予定だったのに!文才の神よっっ!降りてこいこい、と願っても、ちょっと重くなるかもしれませんが、ご容赦ください。

 

母は泣き崩れて姉は、血だらけで父にされるがまま、私は姉と父の間に。

 

「プロレスごっこーーー!ひゃっほーーーーい」と、言いながら飛び込みました。

 

てんてけてんです。もう少し違う方法がなかったものか。

 

父の怒りは、邪魔をした私に向きましたが、父は私には甘かったといいますか、姉と比較すると私は期待することがなかったんでしょう。

 

「お姉ちゃんと一緒に休む☆」と、モデルポーズまで作っていると父は怒る気がなくなってしまいました。

 

姉の血がついた袖で、そのまま父は仕事へ向かい、母が警察のかたと話している間に私は慣れない手つきで姉の消毒をしていました。

 

下手すぎて、痛いと姉に泣かれ、笑いながら私も一緒に泣いていたら…。うーんうーんと思い出そうとしても、それからの詳細が思い出せません。

 

あー今でも思い出したくないのかなぁ。

 

本当は覚えています。

 

父が私にばかり甘かったこと、家に男の子いなかったため両親は双方の実家から「男の子を産めぇぇぇ」と、呪詛のごとく言われ続けており、姉だけはまるで男の子のように育てていました。

 

「お前だけいつもいつもいつもずるい」「今死ね、すぐ死ね、包丁持ってこい」「お前が女で生まれたせいでめちゃくちゃになった」「お前の顔が嫌い、不細工、バカ」等々。

 

前回の昔語りでも、書いていると思うのですが姉は本当に優しいお姉ちゃんです。

 

父が何事もなかったかのように夕食時には帰ってきていて、我が家ではかなり珍しいケーキ、しかもホール、誕生日でもないのにホールのケーキを買ってきてくれました。

 

誕生日会のような、豪華な食卓でしたが姉は降りてこず、その日から姉と私の不登校は続きます。