不登校→医師と弁護士になった夫婦の昔語り

私達が立ち直る為に必要だった、両親から贈られた本の紹介

僕の昔語り 三

生活習慣が狂ったのは僕だけではありませんでした。

 

僕をなんとか助けようとしてくれていた母と、そして家事と子育てのすべてをほぼ母が担っていたことから、弟と妹にも悪影響が出ました。

 

慌てた母は、弟と同室だった僕を別の部屋へ移動しました。

 

学校の教科書を、付きっきりで母は読み聞かせをしてくれたりしましたが、授業ではないのですぐに終わってしまいます。

 

簡単なドリルをした後は、とにかく暴れずに静かにしていてくれさえすれば何をしてもいいという環境だったので、僕は漫画やゲームを手に取りました。

 

それまで、特にゲームは時間の無駄である、と母から教えられていたものでしたが、同じ登校班の同級生や学校の同級生の男の子の半分くらいはゲームをしていました。

 

スーパーファミコンゲームボーイ、そして漫画はもちろんドラゴンボールです。

 

皆の話に合わせれるように、ドラゴンボールがどういった話かを要約してくれたり、いかにゲームが脳や目に悪い、それをするとどれだけ人生が狂うかを教えてもらっていましたが、僕は自分でどんなものか試してみたかったのです。

 

僕が不登校になったのは小学校4年生の二学期からでした。

 

小学校4年生というと、まだまだ幼く小さいかと思われるかもしれませんが、この年齢にもなると思いっきり壁に突進すると、薄い壁程度なら地震のように音が響き回ります。

 

それを、やめてくれたらといった約束で僕は移動した部屋にテレビとゲーム機とゲームソフトを1本買ってもらえることになりました。

 

多くの方は、この両親の行動を非難されるかもしれませんし、僕のあざとさやズルさや甘えを非難される方も多くいらっしゃると思います。

 

さて、僕はどうなったかというと、見事に昼夜逆転でのゲーム生活が始まりました。

 

一時的に僕の暴動は収まりましたが、ゲームには飽きがやってきました。ここでもし、飽きずにずっと同じゲームをし続けたりできたらゲームの制作者や、戦略が好きなら経営学部、きれいな音楽に惹かれたなら音楽の道、色々考えられたでしょうが、僕にとっては当てはまりませんでした。

 

とりあえずクリアした1本のゲーム、その後僕は両親の約束を破って暴れました。

 

不登校中、両親と何度約束を交わし、何度破ったか、不誠実な対応をしてきたか。

 

ゲームよりはまだマシかもしれない、暴れるのを押さえられるかもしれないと感じた両親は、次に漫画を僕に買ってきてくれました。

 

父は一度、ドラゴンボールの戦いの描写に不快感を持ったようですが、それでも僕の手元にやってきました。

 

両親はほとんど漫画を読んだことがない人でした。かろうじて、歴史の漫画だけは許可がでていましたが、ゲームはもちろん、アニメはサザエさん以外見てはいけませんでした。

 

他の同級生の家では、ドラえもんクレヨンしんちゃんを見れるのに、ドラえもんの映画に両親と見に行った同級生が持っていたドラえもんのフィギアが欲しいと泣いていたのは弟でした。

 

僕の教育を厳しくしすぎたんじゃないかと、心配した両親は弟にはアニメを許可することにしました。

 

それを知った僕はまた暴れ出します。

 

そんな時、母がすっと差し出してくれたのは、欲しいと言っていない本でした。